参考文献

日本建築史講義|著.海野聡|学芸出版社 建物が語る日本の歴史|著.海野聡|吉川弘文館 建築の歴史|編.西田雅嗣・矢ケ崎善太郎|学芸出版会 日本建築様式史|監修・太田博太郎|美術出版社 西洋建築入門|著.森田慶一|東京大学出版会 建築の歴史|編.西田雅嗣・矢ケ崎善太郎|学芸出版会 西洋建築様式史|著.熊倉洋介・末永航・etc|美術出版社 美術史〈西洋〉|編・中山公男 中森義宗|近藤出版社

「建築史」から何を学ぶか?

「建築史」とは、名前の通り、建築の歴史です。建築がどのように始まり、どのような過程を経て、現代の建築へと至ったか、その流れを掴むのが、「建築史」の目的です。では、私たちは建築の歴史から何を学ぶのでしょうか?

結論をいうと、私たちは先人たちの試行錯誤の跡を確認することで、彼らが何に失敗し、それをどのように克服し、また何に成功し、それをどのように受け継いでいくか、ということを学びます。

歴史を無視することはできない

歴史というと、どうしても「過去」のイメージが浮かばれますが、単なる過去ではなく、過去から未来へ向かうものでなければなりません。

もちろん、過去なんかに囚われず、独自の道を進んでやるんだ!という強い意思を秘めている人もいるでしょう。しかし、過去を無視して未来を築くことは、非常に困難です。もしそれをするなら、竪穴住居よりもさらに前の段階からスタートしなければなりません。今ある建築技術は、すべて先人から受け継がれてきたものだからです。先人の技術に生かされながら、その内容については何も知らない、それはきつい言い方をすると、本質が分かっていない状態です。

過去から学び、未来へ活かす

過去のものを真似るだけじゃ、新しいものは生まれないのじゃないか?そのような疑問もあるでしょう。しかし、それは見た目だけを真似しようとするからです。住宅街なんかを歩いていると、「これはコルビジェを意識してるな」「これはアアルトだな」「これはライトだな」と思うことはありますが、だからといって、その家がコルビジェやライトの思想を反映しているかというと、正直見た目だけでは分かりません。それがただ単に外観を寄せているだけだったら、思想も何もないからです。

逆に、思想の部分をしっかり受け継いでいるのであれば、あえて外観を真似する必要はなくなります。外観なんて、その土地の風土や地域の景観、その時代の技術や経済状況等に応じて、いくらでも変わるものだからです。むしろ、時代や場所に適合させて、先人の思想をアップデートさせていく、これが「新しい」ものを築き上げる、ということではないでしょうか。

日本建築-縄文・弥生

↑合わせて読む↑ 時代背景 移動生活 縄文時代は、狩猟・採集の社会です。季節ごとに、動物の移動や植生の変化を追いかけながら、河川の周辺や台地の縁辺部で食べ物を獲得し生活していました。 農耕によって定住が可能に 弥生時代に入り、水稲農耕が広まっていくと、移動生活(狩猟・採集)から定住生活(農耕)へと変化しました。この変化による建築的な変化は、たとえば、場所選びに現れます。これまでは水被害を避けて、台地や丘陵が選ばれていたのに対し、水田に水を引くために水の便が良い場所が好まれるようになったのです。 貧富の差が ...

日本建築-飛鳥・奈良(寺院)

↑合わせて読む↑ 時代背景 仏教の伝来 六世紀半ば頃、仏教が百済から日本に伝来*しました。その教えが持ち込まれると同時に、それを体現する場として寺院建築が必要になり、それに由来して仏教建築の新技術が持ち込まれます。 聖明(百済の王子)は、日本の皇室との外交関係を深めるために、日本に渡来し仏教を伝えたとされています。 仏教を受け入れるか、拒否するか ただ、仏教は満場一致で受け入れられた訳ではありませんでした。いわゆる、「排仏派」と「崇仏派」に分かれます。 国際情勢に明るい蘇我氏は賛成 主に「崇仏」を主張した ...

日本建築-飛鳥・奈良(神社)

↑合わせて読む↑ 時代背景 天皇中心の国作り 645年に始まる「大化の改新」の流れを汲み、天武天皇は強力な軍事政権の樹立を図りました。律令制度の整備や中央集権化を進め、地方豪族の独立性を抑えます。 大化の改新:天皇中心の国作りを目指した一連の改革 その際に彼が利用したのは、「神道」でした。「神道」を国教として定め、神社を統一的に管理することで、天皇の威光と神格化を図ったのです。 この時代、すでに仏教も伝来していましたが、古代日本の政治権力は、神々との関係性を重んじることで正統性を獲得することができたという ...

日本建築-神仏習合

↑合わせて読む↑ 時代背景 6世紀前半、朝鮮半島を通じて中国からの文化が日本に伝来し、やがて日本独自の文化が形成される中で、神道と呼ばれる民間信仰が発展しました。そして神祇体制が敷かれることによって、神道は国家宗教となります。 一方で、7世紀には中国から仏教が伝来します。異なる教義や儀式を持つ仏教は、当初は神道との対立を避けられないと思われました。しかし8世紀後半頃になると、神道と仏教の間には相互の影響が生じ、信仰の融合が進んでいきました。神社においても仏教的な儀式や仏像が導入され、仏教寺院においても、神 ...

日本建築-密教

↑合わせて読む↑ 時代背景 仏教と政治 この時代、仏教は政治と深い関係にありました*。また、寺院は政治的・官僚的な組織を形成していました*。そのため、寺院が勢力を強めて行くに従い、政治を左右する存在になって行きます。時には天皇位の簒奪さえも企てられました。かくして、政治に対する仏教の影響は看破できないものとなっていくのです。 仏教と政治:仏教伝来の当初、僧侶は天皇家に仕え、国家を守護する役割を担っていました。そのため、天皇家や貴族から保護を受けるようになります。彼ら政治権力者たちの思惑は、仏教を利用して自 ...

西洋建築-古代ギリシャ

↑合わせて読む↑ 時代背景 ドリス人の侵略 紀元前1100年頃、北方から南下してきたドリス人によって、先住のイオニア人やアルカディア人などが駆逐されました。 ポリスの形成 その後、紀元前800年頃には、村落を中心とした小さな都市国家ポリス*が形成され始めます。 ポリス:一定の地域に住む人々が、政治的・社会的な共同体を形成し、共同で自らの生活を統制する政治組織のことです。 しかし、あくまでもこの都市国家は、単に人々が集まり住んだものに過ぎず、都市として整備されたものではありませんでした。 古代民主政の誕生 ...

西洋建築-古代ローマ

↑合わせて読む↑ 時代背景 小さな村落から始まったローマ市 紀元前753年に誕生したローマ市は、最初こそ小さな村落に過ぎませんでした。 ヨーロッパ全域へ領土を拡大 しかし、紀元前5世紀末までにはエトルリア*などの周辺都市国家を、紀元前3世紀中頃までには南イタリアのギリシャ植民都市を支配下に置き、紀元前1世紀末には地中海沿岸全域をほぼを手中に治めます。 エトルリア:古代イタリア半島に存在した文明です。紀元前8世紀から紀元前3世紀にかけて栄えました。 異国文化を吸収 領土の拡大は、エトルリア文化や植民都市経由 ...

西洋建築-初期キリスト

↑合わせて読む↑ 背景 キリスト教の公認 キリスト教徒は当初、ローマ帝国によって迫害を受けていました。しかし313年に発布されたミラノ勅令*によって、これまでローマ帝国から弾圧を受けていたキリスト教が公認されます。 ミラノ勅令:4世紀初頭のローマ皇帝コンスタンティヌス帝によって発布された勅令で、キリスト教を公認するものでした。この勅令によって、キリスト教徒は迫害から解放され、徐々にローマ帝国内での信仰の自由が広がっていくのでした。 これによって、それまで地下に潜っていたキリスト教は、ローマ帝国の国教として ...

西洋建築-ビザンティン

↑合わせて読む↑ 背景 首都『コンスタンティノポリス』の誕生 330年、コンスタンティヌス大帝は、ローマ帝国の首都をギリシャの都市ビザンティウムに遷都します。その後、この都市はコンスタンティノポリスと名を改めました。 ビザンティウムに遷都したのは、ローマ帝国が内部の政治的・経済的・軍事的な問題や外敵の侵攻に直面していたためです。東方からの侵攻に備えるために、軍事上の要地でもあったこの地が選ばれました。 西洋社会の東西分裂 395年には、帝国は東西に分裂。ローマを首都とする西ローマ帝国、コンスタンティノポリ ...

西洋建築-ロマネスク

↑合わせて読む↑ 背景 カロリング帝国の建国 768年には国王として、800年には皇帝として君臨したカール大帝は、カロリング帝国*の永華を築きました。その支配域は、現在でいうフランス・ドイツ・イタリアに及びます。そしてカール大帝の下で、文化・経済・宗教が発展し、また教育・行政などの制度も整備されました。 カロリング帝国:8世紀から9世紀にかけて、フランク王国を統一し、大きな領土を支配したフランク王朝の王族であるカロリング家によって建国された帝国。 カロリング帝国の分裂と西洋社会の混乱 しかしカール大帝の死 ...